それでも待ちは周っている

こんにちはございます。

久しぶりの更新になりました。

相もかわらずの、おかたづけ生活が続いております。

 

 

と、いいたいところですが、そう思い通りにゆかぬのが人生です。

必ずしも賛同ばかりとは限らない。そんな道のりに戸惑いっぱなしの3月になってます。

 

 

兎角、

昨年の激動のアレコレを何とか乗り切ったかと思いきや、その尾を引くように。

知らなかった、知ろうともしていなかったと気づかされたこと

が。掘り起こされて出てきているところで、処理に追われています。

 

 

もっと早く社会に乗り出しておけば

もっと早く自分の青さに気づけたものを。

なにも持たず創らず。

気づけば人生おりかえし(平均寿命参考)。

未熟だ。青い。俺はまだまだGreenです。

そのことに気づけたのを、ひとつ儲けとして、かつ燃料に。

Stay  green

ヤマを越えてでっかくなってやろうとしています。

鋭意、進行中ナリー。

 

 

 

2並びの日にアップしました。深い意味はありません。

使えるか、面白いかなぁと思ってくっつけてみたんですけど、

まず使い方がよく分からないです。

そして面白さが解らない。なんだこれって気持ちです。

どうやって使うのだろう。

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ハルウララ 私はなにをするひとぞ

いらっしゃいません、どうぞ。 わたくし競馬は、からっきし。

梅の花も見ごろから暫く、という感じでしょうね、今日このごろぅ。

 

 

 

うちのは違いますが、個人的には『寒梅』という品種の、生き様というか強さ、と、単純な名の響きの恰好良さにこないだ気づきました好きですヒロキです。

 

 

 

ここんところの連日の寒さにビビりまくり引きこもりながら、こっそりと。

我が部屋をキレイにするべく、障子を貼り替えながら

(4枚なのに2日目…泣)

 

このページを書いているところです。

 

学生ジブン、テスト期間の勉強中にかぎって、部屋の掃除がはかどったなぁとか、引っ越しのために片づけやってんのに懐かしいマンガ出てきて読んでしまったりとか…( ゚д゚)ハッ!

 

時間が勿体ない…。   そう mottainai

 

   …O   Mo  Te   Na   Shi   (?)

 

 

 

はよせな。(hayakuyaranakereba) 現時点での、2月スタートからの進行が、

 

こういう私物ほったらかしの。赤裸々すぎます

 

いい年して何やってたんだ部屋を(↓は↑から見た背面がわです)。

もう、断捨離と段ボールとのだんだん攻めによりましてですね…

 

こういう

やっとこだんだん…DANDANモノを減ら~し~て~る。

 

状態でいます。イマココ↓

 

冒頭にもどりまして、障子を貼りなおしおります。たった四枚ぶん。

はよせな。

とはいえこれはまだ簡単な準備のものですので、次々と後に作業は

つかえております。

 

今日の障子なんかは、昔ながらの和紙を昔ながらの糊で貼ると

いうのも在りありなんですがどっこい。新しいものでもどれだけのもんじゃいと、ホームセンター障子紙のコーナーにあります。

 

 これ、それ。↙

 

 

 

アイロンで簡単に貼れる』タイプのもの

でやりまして。UVカットだし強度も2倍と丈夫だし、試してみようかねってやってみました。

 

 

その手順は、

 

 

  1. 古い障子剥がす(濡らして絞った雑巾などで)
  2. 説明書のとおりに貼る!※アイロンによる火傷などに注意ください。
  3. 仕上げて出来上がり

 

 

 

だけです。簡単(*‘ω‘ *)。なはずです。

 

貼ってみたけどたわみが気になるのには、霧吹きで水をひと吹きずつ。

まんべんなくしてアイロン、軽く全面をなでてやりました。(3仕上げの件ですコレ。)

 

 

その際、あそびついでに霧吹きのお水をファブリー〇系、消臭スプレー

の香り付きタイプにしてみたら、

 

 

 

     

 ほのかに…優しい香り。

 

 

 

になってます。持続効果は期待できませんが、気分だけでも差があるんではないですかね?気持ちイイですよ(*‘ω‘ *)♪

 

 

 

以上、 むずかしくない障子の貼り替えかたでございましたー。

 

 

っはい。

引き続き、整理かたづけ、ぶちこわし。お届けして参ります。

 

では このへんで。おそ松。

古民家再生とかよく云うけど…リフォームですよね

ストレートだけど…なんちゅう言葉でしょうね、自分でつけたタイトルなんですけど(‘ω’)。他意は無く個人的な偏見です。

まだまだ、未熟者ですもので。

さて、ぬるっと参りましょう。小説だと、まだ「まえがき」のうちみたいなもんですからこの辺り。

時は平成に替わって3年目、西暦で1991年…のはずです。

小学校入学のヒロキ6歳(早生まれ)。

 

学校には…軽くふれたかな?なれてきたか?くらいのタイミングだったか…

日が暮れて、地元の地区のあつまりで、上の兄ふたりに連れられて。向かった所は

 

夜の公民館です。

 

中に入って見わたすと、おんなじ地区の上級生やら、数少ない同級生やら、見たことあるよな大人のひとやら。

事前に話に聞いてはいるものの、やはりそこは人見知りがそっと、顔を出しており。|д゚)

だけど、兄ちゃんの友達とか、よく面倒みてくれてた、知ってる顔をみつけて内心ホッとしてゆるんでました(*‘ω‘ *)、The 末っ子。

 

クラスの違う(2組だけでしたが)同級生と、自分の2人だけで(この地区のオトコノコはね)、田舎らしい。

(‘ω’)(‘ω’)ならんで自己紹介かなんかありましたか、上級生に大人に、ご挨拶をいたまして、さぁ始めようかぁ、なんて軽い調子で。

 

内心、きた! …きた?きた? きたきた!  みたいな(笑)

 

 

オヤジや兄弟からも話には聞いてたし、自分も楽しいのは好きなのでまねっこ踊りはやったりしていたもんです。

 通称を『ひょっとこ踊り』 正しくは 日向橘ひょっとこ踊り という。

初めての出会いを、ヒロキはここで経験しました。

この当時はまだ男の子が地区内に多く、【保存会】の『子供会』という形で活動できていた頃でした。この日は練習と、新入生の紹介という感じ。

(現在は残念ながら少子高齢化の影響で子供会は活動できていません)

 

 

例えみたいなもんで、小さい頃に、お絵かきとかお歌とか…お父さんお母さんに褒められたり、

アイドルとかテレビに出てる人たちに憧れて、そうなりたくて、家でステージみたいにやってたなあ…とか、

子供の頃あるあるだったりしますけれど。

当時のヒロキはまさにそんな気持ちで、

「俺もやっとひょっとこ踊りできるようになったんだ!」っていう、本当に

表舞台に立てるチャンスが自分にも!

みたいな純粋な嬉しさと感動をかみしめて練習させてもらいつつ、もう一人の同級生とも仲良くなれた、小学1年生の春でした。(‘ω’)

それからは、毎年恒例の『日向ひょっとこ夏祭り』はもちろん、県内、九州内、お祭りイベント色々と!保存会について行けるところは様々に

大小いろいろ津々浦々。万博なんかにも。子供にしては…かなーり、豊かな経験を経て成長させてもらってきたなと思い出します。

 

単純に楽しかったし、はしゃぎまくってました。(/・ω・)/

 

ちなみに、ひょっとこ踊り子供会では私、中学に入ってもしばらく活動させてもらいました。

それまでは、小学校を卒業と共にひょっとこ子供会も卒業ってのが通例であったんですが。それだけ子供も少なくなりだしていたころだったのかなぁ。

そう振り返るとやはり、守り伝えていきたいもの、大事なものなんです。

 

そして今は、そんなじぶんが、守り教えて伝えている立場にあり、もっと知って欲しいし、もっと知れ渡ってしかるべきと、なお強く思います。

前提、善くない伝わり方は当然のぞみません。が、です。

細かいこと言うと、おなじひょっとこの名のつく踊り祭り、各地にあるようですし、そのすべてを知っているわけでは無い私ですが。それぞれにある、それぞれの意義と伝統の想いを、尊敬、尊重します。

 

 

そしてこちとら、宮崎県公認代表として

もっともっと広く日本に、世界に知って欲しい、知らしめたい。

 

われらのひょっとこ踊りは確かに、ここにあると。

まだまだ伸びしろありますよ。伝統芸能として、文化として。

それがこの地元、日向から、永田という小さな集落から宮崎県、九州を走り回り駆け巡り、拡がりまわって。

 

それを知りたい楽しみたい人たちがここに、サトウ家という宿に遊びに来てもらいたい、

 

たまたま雨露しのぎに寄ってもらえたお宿サトウ家から、なにかこの田舎を気に入ってもらうきっかけが生まれたら。

そのきっかけをつくる事に自分が今までにない形で貢献できるなら、やってみたい、やってやりたいと。

そう簡単に、思うとおりに物事はいかない、進むものではない。とはよく言われてきたもんですが。

人に迷惑かけるわけでは無し、失敗に終わったとて何が変わるものかと。(そもそも失敗とか成功とかではない話なので)それが自分に、地元に良い方向に働いたら最高だと、そういう話です。

 

話が少しちがう方向に逸れましたが、この地元に生まれ育ったからにはこの使命は一生モノです。

わがサトウ家を、ヒトの集まる、オトの集まる場所にしたい。

 

 つどい、もちより、楽しみ、持ちかえり、どこかで伝わって行く。

 

まだまだ固まらないイメージですが、私はこれが作りたいです。

その為に現在進行形で、うちを鋭意整理中です。まだ片付きませんけど。

 

なにぶん末っ子からの甘えが根っこにありますゆえ、ご協力いただく方々にはご迷惑の極みを承知で(正気の沙汰では無いですが、当然本人も努力は惜しみませんので)なにかとご教示いただけたらと存じます。未熟者ゆえの至らぬ部分につきましても、懐ふかくお付き合いをよろしくお願い致します。

 

 

…堅ぇ。(*´з`)

 

と、オチはありませんが「まえがき」としましては簡単にこういうお話でまいります。

という入り口のようなもので。

改めまして。

 

 

 

ようこそ。

とっ散らかし

 やや、どうも。ヒロキです。覚えてくださると嬉しいですが。

日にちは2月の6日に書いております。節分も過ぎて間もないですね…

2月6日、じつはブログの日だそうで、語呂合わせで

2・6と。 に、ろく、

ぶ…ろぐ、 2…6、 ブ~ログ、 ブログ。 と。

うん、 だいぶ訛ったもんですね、東北寄りに。2「ぶ」?6 ろぐ、ろぐですよ。

どっちか言うたら、ふろくの日の方がしっくりくる気も

しないでもないかな…

いやもう制定されてますからいいんです。

いいね!(‘ω’)です。

そんな日にサトウヒロキ、お届けしております。

肝心の本題です。

前回スタートしまして私、サトウヒロキの

こんなふうに可愛らしい幼少時代をすごしましたという

軽く音楽に、心おどらせた過去をお伝えしましたが。

今回おはなし致しますのは

結局これから何しようと思いようと?(博多弁、深い意味は無い)

です。

 

いま、実際に私が何を考え どう動いて どこを目指しているか。

それをお伝えです。

 

 

  • いま我が家にあるデッドスペースを活用したいこと。

 

  • スペース活用により人の集まるきっかけを生み出すこと。

 

  • 音楽を身近な遊びに、もっと地域をmusic文化にとっつきやすい環境へ変化させていくこと。

 

と、大きくざっくりですが、構えている内容はこの3つの柱が中心です。

ここから

細かく枝分かれしていく事柄や、

新しく生まれるかもしれない事柄についても、

そのつど発信することになるはずです。

 

なにぶん不慣れが多い、素人が取り掛かるチャレンジでございますので

必死でジタバタと転がり回りながら理想をつくりあげてやろうとしております。

 

 

どら、やったろかい。(‘ω’)

 

 

始めます、初めまして。 

どうも。改めまして。

サトウヒロキです。宜しくお願い致します(;’∀’)

いらっしゃいませ ようこそ ヒロキブログへ。

開設出来まして公開となりました、もうこの時点でなかなかの嬉しさです。

ご挨拶は早々に切り上げまして、このブログの意義など本題をお伝えしていきましょう。

自己紹介もかねていきますので、お付き合い下さい。

 

わたくしサトウヒロキ、3人兄弟の末っ子に生まれ育ちまして、その性格は

 

人見知りひっこみ思案と。

 たいへん、大人しい もの静かな 子でした。(…はずです。)

 

そんな子が、初めて家族以外のヒトとふれ合うことになった

幼稚園(1年保育ゆえ、年長さんからの入園で幼なじみゼロ)では、

まともに友達と呼べる仲良しクラスメイトは出来ず。

 

そのまま卒園の日を迎えたほど、うまく自分を表現できなかった子でした。

先生とは少し、コミュニケーションとれてた…と思うんデスケド

( ;∀;)笑   記憶はサダカデハアリマセン。

 

そんな暗黒幼少期ヒロキにも

ひとすじの光…

良い思い出、ありましたです。

 

ありましたよ、あったんです印象のよい思い出のひとつやヒトツ。

それが、イベントで人前に出たことでした。

発表会だったんですが、ステージに上がりまして踊ってました。

 

こまかい記憶は時間の経過と、緊張しぃな性格もありまして覚えがうっすらー

になってますけれども、たしかに楽しんで踊りましたよー

大人の事情で曲目は明かせませんが。

 

これ、当時のヒット曲なのか、先生(女性でした)がファンだったのか…。

ままま、ともかく。その発表会でのステージを体験したことで、

 

踊るの楽しくて、それを(親をはじめ)ひとに見せて

喜んでもらえて、なんかうれしいなっ(´ω`*)

 

みたいな雰囲気で気持ちが良かった、イメージの濃い思い出 です。

 

恐らくそれが自分のなかでのルーツというか、音楽はテレビやラジカセで聴く

だけでない楽しみ方がある、ということを人生で初めて

体感することができた、スタート的経験だったんやないかなー。

 

なんて思いますが、好きになったんですって言えば簡単ですねぇ…

でも伝えたいことですからきちんと。

 

ここまでで、

  • 幼稚園では友達つくれんかったが、初舞台たのしかった
  • ほんのり音楽が好きになった気がする

で、幼稚園を卒園しております。

 

小学校に入学しましては、通称【ひょっとこ踊り】 と出会います。